2022年2月10日木曜日

2022 INDYCARレポート 2月9日:アンディ・グラナテッリ追悼

 

父アンディーの時代よりも濃い蛍光オレンジにペイントされたマシンのフロント・サスペンションに腰掛け、ドライヴァーと話すチーム・オーナー時代のヴィンス。その右胸にビュイックのロゴ!
市販車用がベースのOHV・V6エンジンは高ブースト圧が許されていて、時としてインディー500の予選で威力を発揮した Photo:(c)BorgWerner/Dan Boyd クリックして拡大

今振り返るアンディ・グラナテッリの挑戦

 インディーカー・シリーズで勝つチームを作る。それは非常に難しい挑戦だ。現在の最強チームであるチップ・ガナッシ・レーシングでさえ、初勝利までには5シーズンを要した。前身の強豪パトリック・レーシングはガナッシが共同オーナーだった1989年にエマーソン・フィッティパルディとともにインディー500で優勝し、シリーズ・チャンピオンにもなったが、ブラジル人ドライヴァーはマールボロ・マネーともどもペンスキー・レーシングへと移籍していった。

2022年2月6日日曜日

2022 INDYCARニュース 2月7日:2月のニュース VOL. 1

ビンス・グラナテッリ 1943-2022 写真は2014年にタービンカーをドライブしたときのカット Photo:Penske entertainment クリックして拡大
ヴィンス・グラナテッリ死去

 80~90年代にかけてインディーカーのチーム・オーナーとして活動していたヴィンス・グラナテッリが1月下旬に亡くなった。呼吸器系を患っていた彼はCOVID-19に感染、78歳で息を引き取った。