父アンディーの時代よりも濃い蛍光オレンジにペイントされたマシンのフロント・サスペンションに腰掛け、ドライヴァーと話すチーム・オーナー時代のヴィンス。その右胸にビュイックのロゴ! 市販車用がベースのOHV・V6エンジンは高ブースト圧が許されていて、時としてインディー500の予選で威力を発揮した Photo:(c)BorgWerner/Dan Boyd クリックして拡大 |
今振り返るアンディ・グラナテッリの挑戦
インディーカー・シリーズで勝つチームを作る。それは非常に難しい挑戦だ。現在の最強チームであるチップ・ガナッシ・レーシングでさえ、初勝利までには5シーズンを要した。前身の強豪パトリック・レーシングはガナッシが共同オーナーだった1989年にエマーソン・フィッティパルディとともにインディー500で優勝し、シリーズ・チャンピオンにもなったが、ブラジル人ドライヴァーはマールボロ・マネーともどもペンスキー・レーシングへと移籍していった。