Photos : Motorsports Hall of Fame of America, NASCAR Archives & Research Center クリックして拡大 |
ペンスキー・レーシングのルーツが眼前に!
若き日のロジャー・ペンスキーはドライヴァーとしての成功を目指していたが、並行して進めていたビジネス・プロジェクトによってドライヴァー業を諦めることになった。しかし、彼のレースに対する情熱の炎は消えず、チーム・オーナーとしての成功が新たな目標に定められた。
彼が始めたビジネスはシヴォレーのディーラーだった。それだけにレーシング・マシンの素材がシヴォレーのライン・アップから選ばれたのは当然の成り行きだった。ペンスキー・レーシングはL88コルヴェットをレース仕様に仕立て、1966年のデイトナ24時間コンティネンタル(現在のロレックス24アット・デイトナ=いわゆるデイトナ24時間)にエントリー。ディック・ガルドストランド、ジョージ・ウィンタースティーン、ベン・モーアの3人のドライヴしたマシンはデビュー戦にして総合12位、GTクラス優勝を飾った。総合優勝はケン・マイルズ/ロイド・ルビーの乗ったキャロル・シェルビー・チームのフォードGTのものとなった。
Photos : Motorsports Hall of Fame of America, NASCAR Archives & Research Center クリックして拡大 |
ゾーラ・ダントフの手になるコルヴェット初の本格レース仕様
アルミヘッドエンジン+ファクトリー・フルキット
1966年は記念すべき年だった。デイトナ・インターナショナル・スピードウェイはこの年に初めて24時間レースを開催。前年にドライヴァーとしてのキャリアを終えていたロジャー・ペンスキーは、チーム・オーナーとしての初レースにデイトナを選んだ。
427キュービック・インチ=7リッターという大排気量のV8エンジンを搭載するL88コルヴェットは、名デザイナーのゾーラ・ダントフが手がけたもので、コルヴェットにとっては初めての本格的レース挑戦となった。ペンスキーがレース仕様に仕立て上げたマシンはミズーリ州セント・ルイスのアッセンブリー・ラインから送り出された1967年の市販モデルとしての最初の1台だった。
Photos : Motorsports Hall of Fame of America, NASCAR Archives & Research Center クリックして拡大 |
ペンスキー・コルヴェットにはアルミ・ヘッドだけでなく、メーカー純正のコンペティション・パッケージであるブレーキ、サスペンション、エキゾースト、トランスミッション、リヤ・アクスル、36USガロン容量の大型燃料タンクなどが装備されていた。
デビュー・ウィンをGTクラスで飾ったペンスキー・レーシングのマシンには”フラッシュライト”というニックネームが授けられた。レース中のアクシデントでフロントを大きく破損、ヘッドライトから補助ライトまですべてを失った彼らは苦肉の策として”フラッシュライト=懐中電灯”をフェンダーにテープで固定し、レギュレーションを満たしてレースに戻り、ゴールまで走り切ったからだった。
来年のペンスキーのスポーツ・カー挑戦を機に
デイトナのモータースポーツ・ホール・オヴ・フェイムに
Photos : Motorsports Hall of Fame of America, NASCAR Archives & Research Center クリックして拡大 |
1966年のセブリング12時間でもGTクラス優勝を記録したペンスキー・レーシングのコルヴェットは、その後の50年以上に渡って人の目に触れずにいたが、長い時間をかけてレストアが施されていたのだった。そして、チーム・ペンスキーがスポーツ・カー・レースの世界へポルシェとともにまたしても打って出る2023年を前に姿を現し、フロリダ州デイトナ・ビーチのデイトナ・インターナショナル・モーター・スピードウェイ敷地内にあるモータースポーツ・ホール・オヴ・フェイム・オヴ・アメリカに展示されている(2023年の3月上旬までの予定)。なお、このマシンはデビュー戦だったデイトナ24時間レース時のものではなく、同マシンに後に施されたカラーリングでレストアがなされている。
以上
0 件のコメント:
コメントを投稿