Photo:Masahiko Amano クリックして拡大 |
例年とはいろいろ勝手が違った
パンデミック下のインディー500
キャパシティの半分以下ではあるけれど、ファンが戻って来たインディー500。抑制しても世界一の観客動員数というところに、改めて驚かされる。
ほぼ満員に見えた今年の“500”は、プラクティス開始から去年までとは色々違っていた。
メディア向けの食事は、まだパンデミック下ということでデリヴァリーのボックスものとされていたものの、サンドイッチ、メキシカン、イタリアンなどで日替わり。コーヒーも1日中提供されていた。一昨年までサーヴされてたカフェテリアのものより食事のクォリティは高く、決勝日にはケイタリングで暖かいポットローストとマッシュポテト、サラダやイタリア風アンティパスト、さらには3種類から選べるデザートまで供された。
メディア・デイのレセプションで触れた
偉大なインディー500のささやかなヒストリー
レース前の木曜日=メディア・デイには、33人のドライヴァーたちのインタヴューを終えた後の夕方6時過ぎから、スピードウェイとインディーカーのメディア担当スタッフたちが我々のための歓迎レセプションを開催してくれ、色々な国の料理をアルコール・ドリンクと共に振る舞ってくれた。日本料理も焼き鳥が出ていた=準備に時間がかかってて食べることができなかったけれど。
そこで白ワインを頼んだら、インディアナポリス・モーター・スピードウェイ・オリジナルのグラスに注いでくれ、「グラスはお持ち帰りください」」と言われた。
1911年からのウィナーの名前が小さな文字でズラっとプリントされている、ハイボール用って感じのグラス。
「いいお土産をくれるもんだなぁ」、「割れないように厳重に梱包しないと……」などと考えた。
飲んでいる時には気づかなかったが、羽、タイヤ、旗のインディアナポリス・モーター・スピードウェイ・ロゴがドライバー名が並んだ反対側にプリントされているのを見つけ、その下に、第二次対戦後にコースのオーナーとなってインディー500を存続させ、世界最大のレースへと成長させたトニー・ハルマンのサインがあると知って、「おやっ?」となった。
改めてグラスを見ると、昨年の佐藤琢磨までウィナーが全部プリントされているのではなくて、最後の行は 1977 AJ FOYT
だった。1978年用のスーヴェニアだってことだ。
『えぇっ? デッド・ストックの放出品?」と思った。ハルマン氏のサインは珍しく、ありがたい気持ちも抱きつつ、”でも、なんでこんなに古いものを我々に?”という点が気になった。”そんな物凄い量の在庫を抱えてるのか?”とも思った。
そのグラスを持って、とあるインディーカー関係者に会ったら、彼が思いがけない話をしてくれた。
「プリントされてるウィナー、1977年までなんだよ」と言ったら、
「そのグラスは1977年のウィナーをプリントしたバージョンが最後だからね」という意外な答えが返って来た。
「なぜ?」
「プリントの文字がとても小さいだろう?
毎年ウィナーが1人ずつ増え、その度に当然文字は小さくなった。”これ以上文字を小さくしたら、誰も読めない”となって、”じゃ、もう作るのはやめよう”、”俺たちのドライヴァー、AJがまた勝ったことだしな”と、商品として存続しないことが決定されたんだという。
飲み口の金メッキは薄れ、ウィナーの名前もところどころペイントが剥がれているグラスだが、こんな小さなスーヴェニアにも、「そうなんだ……」とうなずき、微笑んでしまうヒストリーが隠されていた。
無観客レースの翌年、COVID-19も収まりつつあり、メディアの人数制限は緩められた。全米、そして海外から多くの取材者が集まって、ロジャー・ペンスキー率いる新体制のメディア・スタッフは小さなパーティーを企画してくれた。そこで配られたのがフォイト4勝目に関わるグラス。そして、その3日後、多くの観客を前にして4人目の4勝ドライヴァーが誕生。エリオ・カストロネヴェスは今年、勝つべくして勝ったということなのかもしれない。
以上
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