2020年9月2日水曜日

2020 INDYCARレポート 第9戦 ボマリート・オートモーティブ・グループ500 Race2:トニー・カナーン、383レースで一段落

20年のインディーカー・キャリアにひとまず終止符

 “TKのラスト・ラップ・ツアー”がゲイトウェイでのレース2で終わった。ブラジル出身スター・ドライヴァー=トニー・カナーンの20年に渡るインディーカー・キャリアにひとまず終止符が打たれた。フル・シーズン出場は昨年までで、今シーズンの彼はオーヴァル・レースだけの出場とした。元々はフル・シーズンの予定だったが、チームの事情でオーヴァルだけになった=残念だけれど、このところの彼はロード&ストリートで本来の切れ味がなくなっちゃってたので。しかし、ファイナル・イヴェントとなったゲイトウェイ・ダブルへダーの1戦目、彼は今シーズンのチーム・ベストとなる9位フィニッシュをしてみせた。まだまだオーヴァルでの競争力は十分に高いことを証明したのだ。


印象深いリスタートでの強烈なアウトサイド・パス

 アメリカでは基本的にアメリカ人ドライヴァーが人気だが、例外もある。トニーはその一人だ。恐れを知らない戦いぶりが人気の源。オーヴァルでのリスタートでトニーが見せるアウトサイド・パスは他のドライヴァーたちもなかなか真似ができない。トニーの人気の秘密はインディーで速く、不運に見舞われて勝てないところにも理由はあったと思う。“アンドレッティ一家が呪われている”というのと似たパターン。リードを重ねても勝利が手に入らない。そういう時間が長かった。

来シーズン、再びオーヴァル全戦エントリーを目指す

 トニーは今シーズン、長年彼を支えてくれたファンに直接感謝の気持ちを伝えるつもりだった。しかし、パンデミックのせいでオーヴァル6戦のうちの2戦が無観客開催になってしまった。アイオワとゲイトウェイのダブルへダーも入場者数制限がされ、ドライヴァーのサイン会もなかった。ファンはインフィールドにも入れなかった。その結果、「これは自分の考えていた終わり方じゃない」と、トニーは来年またオーヴァル全戦に出場することに方針転換した。「まずはスポンサー集めだ。走るチームも決めないとならない。オーヴァル全戦に出る体制が万が一整わなかったら、インディー500出場だけは何としてでも叶えたい」と新しいモチヴェーションを得たTK燃えている。

ファイターだけれど、無謀ではないトニー
タイトル獲得の2004年は全レース全ラップ完走!


 トニーはアンドレッティ・オートスポートから参戦した2004年に3勝、2位6回、3位2回、開幕戦ホームステッドでの8位以外の15戦でトップ5フィニッシュという、とんでもないパフォーマンスでチャンピオンになった。この年、彼はシリーズ史上初の全レースの全ラップ完走という記録も打ち立てた。すべてのレースがオーヴァルで行われていた時代に、全レースをリード・ラップでフィニッシュ! これこそトニーだ。
 ファイターだけれど、無謀、乱暴なだけのドライヴァーではない。1997年にアメリカに乗り込んだ時、彼はマールボロ・ラテン・アメリカがメイン・スポンサーの赤いマシンでインディー・ライツに出場。強豪タスマン・モータースポーツ・グループのチームメイト、エリオ・カストロネヴェスと激しいタイトル争いを展開し、安定感と勝負強さを発揮して4点差で王座に就いた。

2013年、12回目のエントリーでインディー500初制覇
 世間がすでにCARTとIRLの”分裂時代”に入っていたので、トニーのインディー500参戦は2002年が最初。CARTシリーズのミシガン500優勝実績を持つ彼は、インディーもデビュー戦から好パフォーマンスを見せた。2005年にはポールポジション獲得も達成。しかし、インディーで勝てない時代が続き、アンドレッティ・オートスポートから離脱。そして、KVレーシング・テクノロジーでの3シーズン目となる2013年にインディー500優勝をとうとう達成した。

 マイアミのお宅を一度訪問したが、宝物はアイルトン・セナがサーキットを走るレイザー・ディスクで、大画面テレビでしょっちゅう見ていると話していた。憧れの存在だったセナが主催するカート大会で少年時代に優勝し、表彰式でセナと一緒に写っている白黒写真も飾ってあった。トニーがカーリー・ヘアだった。それ以来、トニーとセナの交流は続いたという。

フィジカル・トレーニングの先駆として

 トニーといえばインディーカー業界の鉄の男。鋼の肉体で知られてもいる。まだトニーがCARTへのステップ・アップをして間もない頃、各チームの使用エクィップメントを調べていたら、彼のチームだけブレーキ・ローターが他とブランドが違った。クルーチーフに聞くと、「身長は高くないトニーだけれど、ガツーンッとブレーキ・ペダルを蹴飛ばす力が強烈過ぎ、ローターが割れてしまうので、テストして一番頑丈だったローターが選ばれた」と教えてくれた。すでにトニーは超人的パワーを身につけていたということだ。
 2003年に2シリーズは合流、競争の激化がどんどん進み、体力面で不利を囲わないようにとドライヴァーたちはトレーニングに励むようになった。トニーはさらにプログラムを強化、トライアスロンを戦えるまでに肉体を鍛え上げた。今ではそれぐらいの体力を持つことがほとんど当たり前になっているが、筋力&持久力の重要性に着目し、科学的に、ストイックにトレーニングに取り込んだアメリカ最初のドライヴァーがトニーだったと思う。

来シーズン、最後はホンダで戦ってほしい
 トニーは義理堅い、男気のあるドライヴァー。チャンピオンになった年、チームにインタヴューを申し込んだが、なかなか実現しなかった。もう無理か……と思った年末、彼はヨーロッパから日本の私の自宅までに電話をかけて来てくれた。タイトルを取って大忙しだったが、日本に多くのファンがいてくれること、セナと同じくホンダで戦ってチャンピオンになったことを誇りに思っているからこそ、独占インタヴューを実現してくれた。

 今年のインディー500がゴールを迎えた後、当時のホンダ・インディーカー・プロジェクトに携わっていらした人の放った言葉が、「トニーにとって最後のインディー500、ホンダ・エンジンで走って欲しかった」というものだった。それぐらい強い繋がりがあった。来年のインディー、是非ホンダで走って欲しいと思った。
以上

3 件のコメント:

  1. 来季も、500だけでも走ってるし欲しいですね

    マイケルの所で、セブンイレブンカラーなんってどうでしょう😊

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  2. 今年はもうレース追加ないのかしら。オーヴァル追加で急遽もう1レース走るTKを観たい。

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  3. 田中秀明さん

    500は出るつもり、元々あるみたいですよ、トニー。エリオ・カストロネヴェスみたいな感じで走り続けたい、と。
    アンドレッティ・オートスポート、いいですね。トニーが一番合いそうなホンダ・チームでしょう。
    KVレーシング・テクノロジー繋がりで、ジミー・ヴァッサーなどのいるデイル・コイン・レーシング・ウィズ・ヴァッサー・サリヴァンっていうのは?


    わんわんさん

    セント・ピーターズバーグがアウトになった場合、アイオワに可能性……とアメリカで一番の事情通兼情報通のロビン・ミラー氏は書いてます。さすがにインディー/ロードコースでの5戦目となると、トゥー・マッチですもんね。
    ジャック・アマノ

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