2019年5月23日木曜日

2019 INDYCARレポート 第103回インディアナポリス500 予選:フェルナンド・アロンソとマクラーレンは、きっと2020年にまた帰って来る


予選落ち後、ジル・ド・フェランとともに会見に臨んだアロンソ。受け入れがたいであろう結果をいさぎよく認め、予選通過者を讃える態度は、まぎれなく1流のドライバーのそれであると同時に、インディー500への周年がなお些かも損なわれていないことを十分にうかがわせたのだった Photo:INDYCAR (James Black) クリックして拡大
全世界に衝撃が走ったアロンソの予選落ち
 フェルナンド・アロンソの予選落ちには世界がショックを受けた。長年インディー500を見て来ているアメリカ人も驚き、インディ500は独特、特別な世界なのだと改めて思い知らされた。2017年のアロンソによるインディ500初挑戦は衝撃的だった。F1チャンピオンは初挑戦で優勝争いに加わった。その彼が2年後に予選を通れないとは……。


マクラーレン独自のインディー500チャレンジ
カーリンとの提携も図り、準備は整っていた


 コースに出るたびに微妙に異なるラインを試し、毎回異なるトラフィック・パターンでの空気の流れ、マシンの挙動を感じ取り、スーパースピードウェイの走行術を短時間で習得して行った2017年のアロンソ。各走行からのフィードバックも的確で、初出場ながらチームに貢献すらしていた。F1チャンピオン・チームの勝つために整える体制も常識外れとも思えるほどスケールが大きかった。インディアナポリスにあるホンダ・パフォーマンス・デイヴェロップメントのシミュレーター連日使用するなど、やれることは全てやる、という徹底ぶりが貫かれていた。
 2回目の挑戦を行う彼らは強豪アンドレッティ・オートスポートに加わるのではなく、マクラーレン自身がインディー500専用チームを立ち上げての自力で参戦する体制とした。成功の鍵を握るエンジニアには、4度のインディ500優勝経験を持つヴェテランのアンディ・ブラウンが起用された。彼は2017年にルーキーのザック・ヴィーチ(AJ・フォイト・エンタープライゼス)を見ており、アロンソ同様に昨年はインディー500に関わらなかった。レースの現場を取り仕切るのはジル・ド・フェラン。インディー500での優勝経験を持つ彼は2年前にもアロンソのピットにいた。さらに、マクラーレンは3台をエントリーするカーリンとの提携もすることになった。アンドレッティ・オートスポートとは比べ物にならないが、複数のエントリーと情報をシェアでき、トラフィック・テストでも協力できるチームがあることの持つ意味は大きい。

4月末の合同テストでトラブル発生
公式プラクティス初日もトラブルで出足からつまづく


 2台のダラーラ・シャシーをイギリスのファクトリーで入念に組み上げたマクラーレンは、シェイクダウン・テストをテキサス・モーター・スピードウェイで行ない、ノース・キャロライナ州シャーロットにあるシボレーのシミュレーターを多用してセット・アップの向上に励み、4月末にはインディーカー・シリーズの合同テストに参加した。今回も準備は周到だった。しかし、悪天候で短時間に終わった合同テストでトラブルを出すなど、実戦に向けたチームの習熟度には不安があった。

 公式プラクティスが火曜日に始まると、彼らはまたしてもメカニカル・トラブルを出し、トップ・コンテンダーたちの半分程度の50周しか走ることができなかった。ノー・トウのスピードは36エントリー中の35番手(!) 出足が悪いと挽回は難しい。プラクティスは予選前に4日間もあるが、それがインディ500の現実だ。

2日目、ターン3でクラッシュついにインディーの洗礼を受ける
そしてチームもマシン修復に手間取り翌日も走れず


 そして、走行2日目にアロンソはクラッシュをしてしまう。前を走るマシンにターン3で接近し過ぎ、アンダーステアを出してウォールにヒット。2017年には一度も壁にぶつかることのなかった彼にも、ついにインディの洗礼を受ける時が来た。あまりにも呆気なくグリップを失い、ほとんどなす術なく壁に吸い寄せられて行ったアロンソを見て、彼らのマシン・セッティングが順調と呼ぶものには程遠いことが見て取れた。
 アロンソはアウト側にマシン右側からヒットした後、芝生とピット・アクセス・レーンを超えてイン側の壁にぶつかり、スピンしながらもう一度コースに戻って、バンクを駆け上がってアウト側に今度は左側からクラッシュした。マシンの受けたダメージは大きく、マクラーレンはバック・アップ・カーへスイッチを余儀なくされた。そして、スペア・モノコックを走れる状態に仕上げるのには、丸1日以上もの長い時間を必要とした。スポット参戦のためにクルーはマシンに習熟しておらず、チームとしての共同作業も手際良くこなすことができなかったためだ。アロンソの4時間後にフェリックス・ローゼンクヴィストもクラッシュしたが、彼を走らせるチップ・ガナッシ・レーシングは翌朝一番からルーキーに走行を再開させていた。走行3日目は夕方に雨が降ってプラクティス時間が1時間15分も短縮される不運も重なり、アロンソはとうとうこの日は一切走ることができなかった。
 アロンソの2回目のインディ500が、2017年ほどスムーズに行かないことは予想されていた。しかし、ここまでの苦労をするとは誰も考えていなかった。予選落ちの危機に晒されることを見通せていた人など、ほとんどいなかったはずだ。2年前に優勝争いができたレースで予選通過が大きな目標になるとは、インディ500に対して敬意を払い続けているアロンソでも予測はできなかっただろう。”アロンソもマクラーレンもインディを甘く見ていた”という指摘は正しい。伝統あるインディアナポリス・モーター・スピードウェイの2.5マイルオーバルでは、誰もマシン以上のスピードでは走れない。マクラーレンは十分なスピード確保ができず、共闘態勢をとるカーリンもほぼ変わらない苦境にあった。

4日目、ようやく走行再開もスピード不足は顕著
予選アタック順も不利な20番手と負のスパイラルに突入


 ターボのブースト圧が上げられる走行4日目、前日に1ラップも走れなかったアロンソは、バック・アップ・カーでのスピード・アップに取り掛かるが、それは思うように進まなかった。ノー・トウでの順位は30番手だったのだ。
 苦悶する彼にはクジ運も味方せず、気温が低くスピードを出し易いコンディションのアタック順を手にすることはできなかった。20番目のコース・インで、すでに気温は30℃に達しようとしていうコンディションでのアタックにはリヤ・タイヤがパンクする不運まで重なり、1周目からスピードは227mphにも届かず。2周目は225mph台、3周目は224mph台とスピードはドロップし続け、この時点で20台中の20台に。4周目は223mph台で、記録は225.113mp。バンプ・アウト必至となった。

予選1回目のアタックでスローパンクチャーがアロンソを襲う
セットアップを見直さずに再アタックしたがオン・ザ・バブル


 午後2時過ぎ、ローゼンクヴィストが226.563mphを出してアロンソはバンプ・アウトされた。そして、この直後にマクラーレンは判断ミスを冒した。パンクのせいでスピードは出なかったが、セッティングには問題がなかったと自らを評価した彼らは、気温や路面の温度が下がってからアタックすれば予選をクリアできると踏んだ。しかし、2回目のアタックでも2ラップ目に大きくスピードがドロップしてグリッド確保はできなかった。すると3回目には1周目のスピードを抑えて4周全体を嵩上げさせる作戦に切り替えたが、3周目以降にスピードを保つことができず、オン・ザ・バブルの30番手という厳しい状況に追い込まれた。

5回目のアタックで29番手となるが、再びオン・ザ・バブルに
ヒルデブランドの快走でついにバンプ・アウト!


 アロンソは4回目のアタックにトライ。しかし、2周を走ったところでの平均が30番手に食い込めない226mphm台にとどまった。マシンの状態は2回目のアタック時よりも悪くなっていた。
 5時20分過ぎ、もう残り時間が30分となってアロンソは5回目のアタック。227.224mphを出して29番手につけたが、保有スピードを捨ててアタックしたローゼンクヴィストがスピード・アップを実現してグリッド獲得を決定づけ、アロンソはまたもオン・ザ・バブルに。そして、JR・ヒルデブランド(ドレイヤー&レインボールド・レーシング)が4ラップをついに安定させることに成功、228mph台にも届きそうな見事な走りでアロンソをバンプ・アウトした。
 ギリギリ30番手で決勝に進む権利を手にしたのは、ピッパ・マンだった。USACのミジェット&スプリントで戦うチームは、インディー500初挑戦で決勝進出を達成。同じように、今年からインディーカー・シリーズに出場を始めたドラゴンスピードも、初挑戦のインディで、しかもルーキーのベン・ハンリーというイギリス人ドライヴァーの予選通過をやってのけた。

マクラーレンからダンパーを借用のギャンブルにも敗れる
今年のアロンソのインディー500に奇跡は起こらず

 

 予選2日目。グリッドを確保できていないのは6エントリー。残されているグリッドはラスト・ロウの3つだけ。朝方にプラクティスが行われたが、ここでアロンソは220mph台しか出せなかった。予選落ちの危機に瀕した彼らに予選1日目が終わってから、アンドレッティ・オートスポートがダンパーを提供する”友情”を見せた。しかし、マクラーレンはアンドレッティ・ダンパー装着でのライド・ハイト設定を正しく行なえず、プラクティスでのアロンソは車高が低過ぎて火花を散らし、まともに走ることができなかった。ダンパーはインディーカー・シリーズで鍵を握るパーツだが、予選最終日に突然違うものを採用という判断は正しいものではなかった。プラクティスでスピードを確認できなかった彼らは、すでに後戻りはできない状況に陥っていた。この日に許される予選アタックは1回だけだというのに……。
 F1ワールド・チャンピオンとF1の名門チームであっても、苦境に追い込まれて判断ミスを重ね、自ら泥沼に嵌まって行った。最後の最後には、使ったことのないダンパーをトライするというギャンブルに打って出た。しかし、一縷の望みを託した策にも効果はなかった。魔法は効かず、奇跡は起こらなかった。
 世界中が注目する中、今回のプロジェクトは失敗に終わったが、彼らとすれば、このまま引き下がるわけには行かないだろう。挑戦無くして成功なし。2020年、アロンソとマクラーレンはまた違ったアプローチで、より周到な用意をしてインディー500に挑戦し、トップ争いへと加わって行くことを目指すはずだ。
以上


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