早速ROPに臨んだアロンソ Photo:INDYCAR (Chris Owens) クリックして拡大 |
5月3日、インディアナポリス・モーター・スピードウェイでフェルナンド・アロンソ(マクラーレン・ホンダ・アンドレッティ)が初走行。オレンジにペイントされた29号車で1時間ほどを走り、ルーキー・オリエンテーション・プログラム(ROP)を修了。晴れて今月末の第101回インディアナポリス500・プレゼンテッド・バイ・ペングレイド・オイル(=インディー500)への出場権を手に入れた。“ルーキーは公式練習前に1日だけプライベート・テストをしてオーケー”というルールがあるとのことで、アロンソのテストは依怙贔屓によるものではないそうだ。
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F1ワールド・チャンピオンに2度輝いたことのあるアロンソは、午前10時過ぎに走行スタート。51周を走っただけでROPは修了。その後はさらにマシン、及びコースに慣れ親しむための走行を午後3時過ぎまで重ねた。
ROP用マシンのセッティング確認はスーパー・スピードウェイでの走りには定評のあるマルコ・アンドレッティが担当。チェックの済んだマシンのコクピットにアロンソは収まり、まずは平均時速205〜210mphで10周連続走行、次に210〜215mphで15周、さらに215mp以上で15周と設定されたプログラムを簡単にこなして行った。彼は前日にインディアナポリス郊外にあるホンダ・パフォーマンス・デベロップメント(HPD)のシミュレーターでインディアナポリス・モーター・スピードウェイをテスト走行しており、それも大きな助けとなっていたようだ。最終的にアロンソは110周を走行。最速ラップは222.548mphだった。
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足が勝手にアクセルを戻してしまった」
「楽しかった。いいスタートが切れたと思う。段階的にスピードを上げて行くことができた。最初はROPで指定されている最低速度に届かせるのも大変だった。マルコ・アンドレッティが全開で行けたんだから、行けるマシンになっていると思った。それで自分の脳はアクセル全開にするよう右足に指令を出していたんだが、足が勝手にアクセルを戻していた。後に自分も全開で行けるようになったけれどね。ラップを重ねる中で走行ラインを探し、より良くして行くこともできた」とアロンソは納得顔だった。シミュレーターについては、「かなりリアルだった。どんな走行になるかがわかった。もちろん実際の走行は独特のフィーリングがある。特にアクセル全開でコーナリングすることは、シミュレーターと本物のインディーカーでは感覚が違う」と語った。
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どんな経験をすることになるのか楽しみだ」
マルコは最初のラップから全開でターン1に飛び込んで行った。「ダウンフォースがレース・モードぐらい大きいので、単独走行ならタイヤは前後ともがっちりグリップする」と彼は説明したが、“F1チャンプをちょっぴり驚かせてやれ”との思惑だったのは間違いない。アロンソも実際に驚いたことを認めていた。そうした茶目っ気のある歓迎も含め、「とにかくチーム全体が僕に協力してくれている。単独走行は問題なくこなせた。今度ここに来る時は他のマシンと一緒に走る。慣れるのは難しいと聞いているし、自分でもそうだと考えている。どんな経験をすることになるのか楽しみだ」とアロンソとインディーでの初走行までの経験を語った。
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12〜13℃と気温が低く、風も少し吹くコンディション。午後2時過ぎからは雨という予報が出ていたが、アロンソのROPは無事に終了し、さらに周回を重ねることさえできた。今のところ天候は彼の味方となっている。風もあるし、予報は雨だし……と一度ガレージにマシンを戻したチームだったが、強く降って来なかったことから走行を再開。燃費セーブ・モードでのマシンの走行フィーリングやスピード、ウェイト・ジャッカーの操作で変化するマシンのハンドリングなども経験するために220mph辺りでの走行を重ねた。バック・ストレッチ・エンドからではなく、ターン4からピット・ロードにハイ・スピードから急減速して入って来る練習もやったし、混雑したピットで自分のピット・ボックス内にクルーが作業をし易いよう決められた位置にマシンを止める……という練習も行なっていた。走行初日からここまでやるのは、チームが初挑戦でもキッチリ勝負に行くことを強く意識しているからだ。
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アロンソのインディ初走行では珍しいシーンがあった。バック・ストレッチを走る彼の前に鳥が飛来したのだ。アル・アンサーSr.だから、もう随分と前、レース中にウサギを轢いてしまった……なんてことがあったのを思い出した。「飛んで来たのが見えたのでステアリングを切って避け、命を救うことができた。レース中だったら避けなかったかも入れない。次に飛んで来た一羽は、低空飛行をしていたのか視界に入らなかった」とアロンソは語った。バーバー・モータースポーツ・パークでの会見時と変わらず、アロンソがとてもフレンドリーで、笑顔を見せながら正直な感想や意見を述べていたのが印象的だった。
帰って来たブルースマクラーレン、こう書くと何言ってんだコイツと思われるかも知れませんが古くからのレースファンならアロンソのレーシングスーツ見て気づいたと思いますが我々から見たら右胸に走る立てストライプの二本線60,
返信削除70年代のドライバーはみんなこのタイプ(フェラーリは肩から袖に走る赤ストライプ)をきていた栄光のルマンのDVDお持ちの方は確認して欲しいアロンソはハッキリ確認出来ないが一本はマクラーレンと同じオレンジが使われている憎いね三菱ならぬ憎いねマクラーレンスタッフこんな細いストライプじゃなくあの当時と同じ3センチ幅のストライプならもっと良かったが通の人が分かれば良いとゆう演出か?ふだん使ってるヘルメットじゃなく黒ベースのカラーリングもブルースマクラーレンに合わせたものか?
F1ロシアGPでのマクラーレンホンダは又々酷い情況アロンソは走ることが出来なかったらしいホンダ技術陣は一体全体どうしたの?そんなに難しいのエネルギー回収再生装置開発では一日の長があるアウディかトヨタにお願いして作ってもらったら?ホンダ技術陣は何時から馬鹿の集まりになったの60年代ブラバムF2に搭載されたホンダエンジンは11連勝してんだよ三代目社長の久米但志さんが設計して皆さんご存じのマクラーレンMP4/4は16選15勝だけど、せなが周回遅れの車もう少し丁寧に抜いていれば接触リタイアせずに完全勝利出来たと監督の後藤治氏はコメントしてました。今のホンダの開発責任者誰だお前なんかやめちまえ昔なら切腹物だぞしかしあれだけ強かったメルセデスベンツがフェラーリの後塵拝してる今年はF1超面白そう日本GP楽しみだ!
返信削除サイモンぺジナウ、タクマサロウ、スコットぼーでーブルデーアレクサンダーあれきさんだーろっしボビーれいはるレイホールロジャーペンスケぺんすきーネルソンピケットぴけアメリカ人の発音は一体全体どうなってんだ?佐藤と発音出来なくてさろーだぞ斉藤さんだぞホンダF1チームも帝国重工みたく100%内製にこだわらず阿部寛にお願いして佃製作所に作ってもらったらどうだ?バルブの設計にかけては世界でもトップクラスだぞ私は今56歳で北海道出身だがわたしが小学生の頃はカレーライスと言えば豚肉だった北海道人にとって牛と言えば牛乳だ間近で見る牛は乳臭くてこんなやつの肉食えるかと言う感じだった肉と言えばジンギスカンだだが羊は成人のマトンは臭くて食えない子羊のラムなら匂い余りしないから花見と言えばジンギスカンだ、だがカレーライスや野菜炒めにラム肉使わないからやはり北海道人にとって肉は豚肉なのだ、どうだ参ったか。
返信削除この前のコメントにセバスチャンブルデーの所間違ってスコットブルデーと書いてしまった間違いなので訂正します。ミヒャエルシュウマッヒャーミハエルシューマッハマイケル週マッハけんあかば赤馬研シューマッハはスキー事故で立木に激突生きてはいるが植物人間に成ってしまったもう三年位姿は見れない状態が続いてるやはり先輩であるセナの記録破り七回のワールドチャンプ優勝回数最多ポールポジション獲得ポイント最高の記録打ち立てた赤い皇帝はセナのもとにゆくのか?ジンギスカン成吉思汗せいきちおんかん女将じょしょうと書いておかみ東雲ひがしのくもと書いてシノノメ土産どさんと書いてミヤゲ関係ないだろ?
返信削除サイモンぺじなうは今シーズンも好調でポイントランキングトップに躍り出た今やペンスケのえーすどらいばーになった感のパジェノーだがインディデビューはホンダエンジンだった逃した魚は大きいよホンダさんアロンソ関連のニュースではインディ3勝してるジョニーラザフォードとケンアカバと激しいチャンプ争いした我らがマリオアンドレッテイおじいちゃんがアロンソのアドバイザーに就任三勝のウチ二勝はオレンジのマクラーレンマシンで勝利してるラザフォードブルースマクラーレンなきあとインディ500のマクラーレン使いはこの人だまたマリオアンドレッテイと言えばケンアカバの為に輸血用のボンベイブラットをアメリカ空軍基地からケンアカバが入院してる病院にマクラーレンM23で運んだドライバーで自動車運搬トレーラーを飛び越えた時はイーブルクニーブルのスタント見てるみたいでスカッとした300キロで走るカウンタックのドライバーが抜かれた時はなんで公道をF1マシンが走ってるんだよーとびっくりドンキーだった。だからアンドレッテイも以外とマクラーレンと繋がりはあるんだなあ。後ではんとざシャントに謝っていたっけ。
返信削除佐川急便と言えば皆さん宅配便創造すると思いますがかって1975から1982年位まで日本のトップフォーミュラーのF2で藤田直弘選手(遅っ)のスポンサー勤め今でもパブロフの犬みたく佐川急便=スピードスターマーチ802という言葉が浮かんでくるこの当時の日本F2は日本一速い男星野一義や長谷見マサヒロCABINレーシングの松本刑事、夜明けの刑事、金がない生澤徹のあいあんどあいレーシングに納豆走法の中嶋さとるが一年落ちのマシンで参加していた雨の中嶋は雨にたすけられ一年お茶マシンで開幕に連勝はたした先程紹介した藤田直弘はまわりが速い人だらけで3位がていっぱいの遅いドライバーだった(遅っ)。
返信削除これ、天野サンのブログだろ?お前うるさいよ 句読点のない意味不明な長文もうざいし!!喋りたけりゃテメーのブログでも開設しろや!この老害が!!!
削除匿名さん、うざくてごめんなさいね、老人の戯言と思って下さいコメントする場が無くて遂調子に乗ってしまいましたほんとにごめんなさい、私しかコメント出してないから見てる人いないのかと思いました、他の方もどんどんコメント出して天野さんのブログ盛り上げて行きましょう。
返信削除ウサギをはねたのはリック・メアーズ(ペンズオイル・ペンスキー・シボレー、1988年)では?
返信削除その時は、ウサギはフロントタイヤに当たってバラバラに砕け散ったので、マシンに特にダメージはなかったようです。