Photo:INDYCAR (Chris Owens) |
インディアナポリス・モーター・スピードウェイは、インディー500だけを行う、1年に一度しか使われないコースだった。それがストックカーのブリックヤード400の開催を1994年に始め、ロードコースをインフィールドに設けて2000年から2007年にはF1、2008年からはモトGPを招聘。昨年からはアメリカのスポーツカー・レースにまでコースを提供するに至っている。
そして今年、ロードコースを大幅改修してインディーカーのロードレース開催を始めることとなった。しかも、それを5月恒例のインディー500の直前に行うというアイデアが採用された。
インディアナポリス・モーター・スピードウェイでのレースは、新しいグランプリ・オブ・インディアナポリスも、インディー500もABCがアメリカ全土に向けてライブ放映を行う。シリーズ最大のイベントに向け、情報を提供し、雰囲気を盛り上げる効果がそこには期待されているのだ。
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インディアナポリスでの初開催イベントということもあってか、グランプリ・オブ・インディアナポリスの決勝日には多くのファンがスピードウェイに集まっていた。メインストレートのグランドスタンドにではなく、ツィスティなコーナー部分のマウンドやスタンドで観戦するファンが多かった。
初開催のロードレースは、そのスタートで大クラッシュが発生してしまった。スタンディングスタート用のグリッドに1台ずつマシンが滑り込んで行くシーンはエキサイティングだったが、見事なパフォーマンスで初ポールポジションを獲得したセバスチャン・サーヴェドラ(KV/AFSレーシング)がエンジンをストールさせ、そこにカルロス・ムニョス(アンドレッティ・オートスポート)とミカイル・アレシン(シュミット・ピーターソン・モータースポーツ)が次々と突っ込んでしまった。彼ら3人に大きな怪我がなかったのは驚きというぐらいにすさまじいアクシデントだった。飛び散ったボディ・カウルの破片やパーツはコースの広いエリアに散らばった。ピット・ロードでセレモニー的にグリーン・フラッグを振っていたインディアナポリス市長にも破片のひとつはぶつかった。
「スタートの手順にミスはなかった。クラッチをリリースした途端、エンジン回転数が11,000rpmから0rpmに落ちたんだ。本当にガッカリで、悲しくすらある。レースでも予選と同じく好パフォーマンスを発揮できると楽しみにしていたのに……」とサーヴェドラは語った。
スタート後もアクシデントが多発、荒れた展開に
アクシデントはこれだけに収まらなかった。
ウィル・パワー(チーム・ペンスキー)とスコット・ディクソン(ターゲット・チップ・ガナッシ・レーシング)の接触は、珍しくディクソンが熱くなって発生した。レース中盤、4位の座を争っていた時のことだった。ディクソンはスピンしてコースオフ。グラベルに嵌って周回遅れとなった。
プラウマンとモンタニーがクラッシュ Photo:INDYCAR (Eric Anderson) クリックして拡大 |
Photo:INDYCAR (Walter Kurn) |
グレアム・レイホール(レイホール・レターマン・ラニガン・レーシング)が52周目、メインストレートのアウト側コンクリートウォールに激突した。ファン・パブロ・モントーヤ(チーム・オペンスキー)と接触したためだった。初開催だったインディーでのロードレースでは、リスタートの加速区間がコントロール・ラインに極めて近い場所に設定されており、それがアクシデントの原因になっていた。状況は開幕戦のセント・ピーターズバーグで起きたアクシデントと同じで、トップが減速し、その影響が後続に伝わって中団以降で大混乱が起こっていた。時としてインディーカーはこういう過剰演出をする。メインストレートだけでなく、バック・ストレートも十分に長いコース・レイアウトなのだから、シリーズ主催者が敢えてターン1でのオーバーテイク発生を手助けする必要はなかったと思う。
ジェイムズ・ヒンチクリフ(アンドレッティ・オートスポート)は、56周目のリスタートの後に前方の何台かが接触。飛び散ったパーツが彼のヘルメットにヒットしたらしく、脳しんとうを起こしてリタイアした。彼はインフィールドのメディカル・センターで診察を受けた後、インディアナポリスの病院で更に検査を受けた。明日からのインディー500用のプラクティス、彼はすぐさま走ることが許されない可能性がある。
……と、初開催のグランプリ・オブ・インディアナポリスはアクシデントの印象が強いレースとなっていた。
的中したパジェノーのピット戦略
アクシデントによってフルコース・コーションは4回出され、それらを利用する作戦が勝敗を分けた。モンタニーにプラウマンがぶつかった後の52周目から55周目のイエロー中にピットするのが、結果的に正解となった。ゴールまで28周の時点だ。この後はとうとう一度もフルコースコーションは出されずにゴールが迎えられた。おかげでシモン・パジェノー(シュミット・ピーターソン・ハミルトン・モータースポーツ)たちは燃費を徹底的にセーブしながらゴールを目指した。それに対し、燃費を無視して突っ走っていたのがオリオール・セルヴィア(レイホール・レターマン・ラニガン・レーシング)だった。終盤にもう一度フルコースコーションが出るとの楽観主義によるものだった。そして、彼らのも目論見は外れた。ゴールまで4周というところで彼はピットイン。エンジンストールもあったために優勝争いから一転、12位でのゴールとなった。
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