シーズン中と撤退の危機も回避し、ジミー・ヴァッサーの喜びもひとしお Photo:Naoki Shigenobu |
明日なき戦いを続けていたKVレーシング
な、な、なんと~! KVは今シーズン、トニー・カナーンを全戦出場させられるかどうか、ハッキリわからないままシーズンインしていた。こんな衝撃の事実が彼らのインディー500優勝直後に明らかになった。それも、TK自身の口から。
2008年インディー500にウィル・パワーで参戦 Photo:INDYCAR |
KVRTは2003年にチャンプカーでスタート。05年にクリスチアーノ・ダ・マッタと初優勝して、08年にはウィル・パワーが2勝目をマークした。しかし、2シリーズが統合されてからのKVRTは勝利から完全に遠ざかってしまった。チャンプカー最後のレース=ロング・ビーチで勝ったのに、インディーカーでは完全に沈滞ムード。それが長く続き過ぎた。去年までの5シーズンでサラ・フィッシャー・レーシング(現サラ・フィッシャー・ハートマン・レーシング)、ブライアン・ハータ・オートスポート・ウィズ・カーブ-アガジェニアン、エド・カーペンター・レーシングといった新興チームが初勝利を飾った。彼らはそこそこ大きなチームのスケールを保っていたにもかかわらず1勝もできなかった。パワーがペンスキーに移籍した後もポール・トレイシー、佐藤琢磨、トニー・カナーン、ルーベンス・バリケロと起用したドライバーは名前も実力もある面々。しかし、チームが勝てる体制を整え切れなかった。
2010年シーズンを終えたところでエンジニアリングにメスが入れられ、2011~12年の2シーズンでマネジメントにも大ナタが振るわれた。資金潤沢なEJ・ビソがチームを離れ、2013年に向けてのKVRTは1カーにまで縮小しそうだった。そこへHVMレーシングからシモーナ・デ・シルヴェストロの移籍が決定。彼女の陣営が持つスポンサーマネーでチームは食い繋ぐことができた。マネジメントにもシモーナサイドにいたスタッフが加わった。
2013年のKVRTは経済的理由から規模縮小を余儀なくされていた。それなのにインディー500では勝ってしまった。世の中わからない。
まさに背水の陣で臨んだ大一番!
チームの力をインディー500に集中させる戦略が見事的中
今年のインディー500で鍵を握っていたのは、マシンの出来の善し悪し。高速で続く集団バトルでいかに速く走れるかという勝負になっていた。KVRはインディー用に時間をかけ、マシンを組み上げたという。インディー500での優勝をかなり意識したプログラムとしていたのだ。フルシーズン、どのレースでも好パフォーマンスを……というのは無理だと考えたのだ。フルシーズンを戦えない可能性があったので、力を集中させる場所を絞り込んだのだ。
速い展開のレースではピットストップのクォリティもかなり重要だった。今年のインディーはものすごいガチンコ勝負になっていたということ。クルーたちは大健闘。作戦力の良否が入り込む余地がなかったのは、その力が高くないKVRTにはプラスに働いていた。
「これで持ち込みスポンサー探しのプレッシャーから
少しは解放される」とカナーン
「この3年間、自分はインディーカーのドライビングよりスポンサー探しの方に一生懸命だった。それしかドライバーとして生き残る道がなかったからだ。今後もスポンサー探しは続けていくけれど、今回のインディー500優勝がスポンサー獲得や、資金豊富なチームへの復帰に向けて助けになるといい」とトニー。「以前のようなサラリーをもらいたいと考えてるんじゃない。もう時代が違うからね。ただ、資金を持ち込まなきゃならないっていう自分自身にかかるプレッシャーは、少し減らしたいんだ。ドライビングにもっと集中したいから。今のチームにはハッピーだ。翌年に向け、確かなものを築いていけるという自信もある。ただ、インディー500を迎えるまで、僕らの計画はハッキリしていなかった。シーズンの最後まで参戦を続けるかどうかもわかっていなかった。今は、最後まで走れるという確信を持っているけれどね」とTKは語った。チームを説得し、エンジニアもクルーチーフも自分の知っているスタッフを雇い入れてもらった。TKはKVRTを見事に自分のチームに作り替えたのだ。そして掴んだ栄冠。しかし、チームは存続危機……。それはKVの「K」の情熱が冷めてしまったというコトなのか?
カルコーヴェンの情熱の火は消えたのか?Photo:INDYCAR |
以上
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