2013年5月26日日曜日

2013 INDYCAR ニュース 第97回インディー500 5月23日 :ホンダとUSAC Vol.1 

USACのプレスカンファレンス。ジョニー・ラザフォード(左から二人目)、ボビー・アンサー(同4人目)。後ろのボードにはUSACとホンダのロゴが並ぶ Photo:INDYCAR(Jim Haines)

ホンダがUSACの長期的サポートと
USACシリーズにおける本格的レースプログラム開始を発表

 この木曜日、ホンダがインディアナポリス・モーター・スピードウェイで大きな発表をした。
 すみません、第97回インディー500に関してお伝えすべきニュースが多過ぎて、こちらのレポートは後回しになっちゃってました。
 ホンダはUnited States Auto Club=USACへの積極的なサポートをスタートさせて、ダート&舗装のオーバルレース(ダートオーバルって一語にアメリカではだいたい集約させちゃってるので、ここから先は当方もそれに倣います)の世界にホンダ・エンジンを大々的に提供していくという。
 これまでのホンダは、ロードレース系での活動がメインだった。砂漠での所謂オフロードレースにも出場してきているし、パイクス・ピーク・ヒルクライムなんてレースにも出るけれど、HPDのエンジン開発はインディーカー以外だと入門用フォーミュラカー、スポーツカー、レーシング・カート、ツーリングカー用で行われてきていた。それが今年から、ダートオーバルの世界へと進出。そして幅広く、大々的に活動をしていくワケだ。

 USACについても説明が必要かもしれない。
 設立は1956年。当時のインディアナポリス・モーター・スピードウェイのオーナー、トニー・ハルマン(トニー・ジョージの祖父)が、インディー500のレース主催をAAAが継続したくない意向となった(大事故が起きた場合に責任をとり切れない心配が……との考えから)ため、それを行う会社として立ち上げた。その後、USACはダートオーバルの世界におけるリーダーへと成長。アメリカ全土でミジェットカーやスプリントカーなどによるレースを主催する最大組織となって、現在に至っている。
 こう書くと、輝かしい歴史と実績を誇る会社と勘違いをされてしまいそうだなぁ、USAC。彼らには残念な歴史もある。79年のCART立ち上げの発端のひとつが彼らのレース運営の悪さや、レース主催会社としての体質の劣化にあったと言われているし、1997年、最近のCARTとインディー500が完全に切れてしまっていたIRL時代に彼らはインディー500の主催から外されてしまった。その理由は、USACのタイミング&スコアリングが大失態をやらかしたから。テキサスでのレースでアリー・ルーエンダイクより1周少なく走ったビリー・ボウトを優勝としてしまった。さすがに彼らの身内であるインディー・レーシング・リーグも、コレはかばい切れなかった。
 そんなUSACも近頃は体質が健全になったってコトなのでしょう。ホンダと一緒になって、「アメリカ伝統のダートオーバルレーシングをまた盛り上げて行こう!」ってな機運が出てきたと。
 USACの本部はインディアナポリス。インディアナポリス・モーター・スピードウェイのターン1の角から1ブロック離れた16thストリート沿いにある。USACのオフィス・ビル東側は現在空き地になっている。それを利用して、ビルの壁全面を覆うホンダの臨時広告がドカーン! と出されている。

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