AJ・フォイト・レーシングをよみがえらせたラリー・フォイト。知的なリーダーだ Photo:INDYCAR |
2008年、ラリー・フォイトがチームマネジメントに
かかわり始めてから7年で何が変わったのか?
「AJ・フォイト・レーシングが変わろうとしている」……それは彼らのドライバーセレクションに現れていた。2008年のシーズンに向け、彼らはイギリス人のダレン・マニングを起用した。翌09年はライアン・ハンター-レイ、10年にはヴィットール・メイラが選ばれた。メイラが2シーズン走った後、エンジン競争の始まる12年に向けてはマイク・コンウェイが起用された。
08年はラリー・フォイトがチームのマネージメントに本格的に関わり始めた年だった。この4月にロング・ビーチで佐藤琢磨とともに優勝を飾ったラリーは、そこに至る7年間をインディアナポリスで振り返った。
「長い道程を歩んできた。チームの運営に携わるようになった時、最初に私が考えたのは、ボスの息子としてマネジメントに突然入ってきて何から何までを変える……それだけはやめようということだった。まずはAJの信頼を勝ち取らなくてはならなかった。それから、インディーカーを戦うための意識に戻ることも必要だった。随分と長いことNASCARの世界で過ごしていたのでね。私はインディーカーに戻って来て、まずはそれを学び直し、少しずつチーム内のことを自分が考えるとおりに変えていった。そこから何かを築き上げることができれば……と行動してきた」。
とても長い時間がかかった。しかし、彼らはすさまじい戦いが繰り広げられるインディーカー・シリーズで、ついに高い競争力を身につけるに至った。今年のインディー500に彼らはポイント・リーダーとして乗り込んできたのだ。
調和が生まれ、チームの一体化ができている
そこにAJとラリーが高く評価する佐藤琢磨を放り込んだ
「今日のチームがあるのは、色々な要素が絡んでのことだ。私たちは1年ごとに着実に進歩を遂げてきた。優秀なドライバーたちを起用した。彼らはチームに多くのことをもたらしてくれた。この何年かの間には、新しいスタッフ、新しいエンジニアたちを迎え入れた。そして自分たちは、ついに目指す地点に到達したと思う。2年続けて同じエンジニアリンググループが働き、多くのメカニックたちも継続して働いてくれている。調和が生まれ、チームとしての一体化ができていることを感ずる。そこへタクマを放り込んだ形になった。彼はものすごい能力を発揮してくれている。ようやく何もかもがうまく行くようになった感じだ」。
琢磨というチョイスは、AJとラリー、両方がスンナリ合意できるものだった。「1台体制であの活躍ぶり……能力はかなり高い」とレイホール・レターマン・ラニガン・レーシングで奮闘する琢磨をラリーは高く買っていた。AJにとっては、インディー500でのファイナル・ラップでのアタック、あれだけで十分だった。彼らはロードコースだけでなく、オーバルでも速いドライバーを強く求めていた。琢磨はまさにその希望にぴったりの存在だった。
「今年の彼は本当に賢くドライビングしている。だからこそ私たちは勝てるポジションにつけることができている。ブラジルでは残念ながら2位でのゴールとなったが、彼が勝とうという思いを強く持つがためにゴールまで走り切れないことになる可能性もあった。しかし、琢磨はミスを冒さなかった。素晴らしい走りでフィニッシュまでマシンを運んだ。今年の彼は“乗れて”いる」。
コナー・デイリーにはインディー500での
ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲らせたい
今年もAJ・フォイト・エンタープライゼスはインディー500を2カー体制で戦う。41号車に乗るドライバーには、元F1ドライバーで、元インディーカー・ドライバーとしても活躍したデレック・デイリーの息子、コナー・デイリーを起用した。
「AJはスピードウェイでルーキーを起用し、一緒に戦うのが好きなんだ。去年、テキサス州オースティンで開催されたF1でコナーに会ったんがだが、私たちはすぐに意気投合した。そこで、彼をフロリダ州セブリングで行なった我々のテストに呼んだ。あのテストでコナーは、AJ、そしてチーム全体に好印象を与えた。私たちは彼にチャンスをあげたいと考えるようになった。そして、41号車、ABCのマシンに若いアメリカ人ドライバーを乗せることができることとあんった。これは本当に素晴らしいことだと思う。彼にはインディー500でのルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲らせたい。
以上
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