Photo:INDYCAR(John Cote) |
平均時速も187.433mphに
「雨が降り出す前にゴールまで突っ走りたい!」
そう考えたからでえもないだろうが、今年のレースは曇り空の下、非常に速いペースで進んでいった。アクシデントが序盤に続いたが、その後には新記録となる133周に及ぶグリーン状態が続き、レースは2時間40分3秒4181で終了した。イエローでのゴールとなりながらも、90年にアリー・ルエンダイクが勝った時の平均時速=185.981mphを破り、平均時速187.433mphという新記録が樹立された。
去年のレースでリードチェンジは34回あった。それはインディーの長い歴史における新記録となったが、今日のレースではそのレコードの倍、68回ものトップ交代劇があった。14人のドライバーたちが変わるがわるレースを引っ張ったが、その14人というリーダーの数も、93年の12人を上回る新記録となった。
優勝はトニー・カナーン(KVレーシング・テクノロジー)。挑戦12回目での優勝も57年のサム・ハンクスに並ぶタイ記録。26台が完走したのも、そのうちの19台がリード・ラップだったのもタイ記録だ。
5台を走らせるアンドレッティ・オートスポートと、3カー体制のチーム・ペンスキー、強豪2チームと渡り合ったのがカナーンとポールシッターのエド・カーペンター(エド・カーペンター・レーシング)だった。
197周目、4回目のリスタートでカナーンが
トップに立った直後にフルコースコーションに
カナーンはレースを通してスピードと安定感を維持していた。レースはもう終盤土壇場に入った194周目にグレアム・レイホール(レイホール・レターマン・ラニガン・レーシング)のクラッシュによってイエローに。そこからのリスタートが切られたのは197 周目で、ゴールまで4周の死闘が繰り広げられる期待で満員のインディアナポリス・モーター・スピードウェイは沸き立った。
しかし、そのリスタートが切られた直後、ターン1でまたもクラッシュが発生! 驚くべきことに昨年度ウィナーのダリオ・フランキッティ(チップ・ガナッシ・レーシング)が壁に激突。レースにはこの日5回目のイエローが出され、そのままレースはゴールとされた。
リスタートはライアン・ハンター-レイ(アンドレッティ・オートスポート)がトップで迎えられたが、2番手につけていたカナーンが絶妙のタイミングで加速して先頭に躍り出た。彼に続いてカルロス・ムニョス(アンドレッティ・オートスポート)が2位に浮上し、そこでイエロー・フラッグ。カナーンがウィナーとなり、コロンビア出身ルーキーが2位。ハンター-レイは優勝に最も近いポジションからアッという間に3位に転落し、逆転のチャンスは与えられなかった。
KVレーシングテクノロジー、インディーカーに移ってからの初勝利
カナーンは過去11回のインディ500出場で2位1回、3位2回、4位1回、5位2回という素晴らしい成績を挙げてきていた。インディアナポリス・モーター・スピードウェイでの速さは折り紙付き。あとは少しの運が必要なだけだったのだ。
「勝てる時って何もかもがスムーズにいくんだよ。今日がまさにそれだった」とカナーン。KVに移籍して3シーズン目の優勝は、チームに取っては08年にインディーカーにスイッチしてきてからの初勝利となった。
「残り6周でイエローが出た時、今日こそ勝てるかも、と思った。自分がトップじゃなく2番手だったからだ。自分は何度もこういう状況でトップだった。そして逆転をされた。今日、最期のリスタートを迎える時には絶対にトップに立つ! と決意していた。その後にイエローが出てレースが終わりになる可能性が高いと考えたからだ。そして、現実はその通りになった」。
運も味方していたかもしれないが、今日のカナーンの勝利はベテランらしい的確な読みと、抜群のリスタート・テクニックが威力を発揮していた。そしてもちろん、レースを通して安定感を保つマシンに仕上げるセッティング能力も重要だった。
ホンダ勢最上位は5位のウイルソン
粘りのレースを見せた琢磨は悔しい13位、
プラクティスから優勝候補の最右翼に挙げられ続けたアンドレッティ・オートスポートは、2、3、4位という悔しい結果に終わった。
シボレーはトップ4を独占。ホンダのトップはジャスティン・ウィルソン(デイル・コイン・レーシング)による5位だった。ウィルソンはタイヤを酷使してレース序盤に27位まで順位を落としたが、そこからすさまじい追い上げをみせ、去年の7位に続いて上位フィニッシュを達成した。
佐藤琢磨(AJ・フォイト・レーシング)は13位でのゴールとなった。18番手スタートから序盤にして6位まで躍進したスピード、オーバーテイク・テクニックは切れ味抜群だった。しかし、今日のコンディションにマシン・セッティングがマッチしておらず、路面ができあがってライバル勢がスピードを伸ばし始めると苦戦を強いられるようになった。
57周目に他車の作り出したタービュランスを浴びてスピン。見事なコントロールで壁との接触を避け、レースを走り続けることができたが、順位は27番手まで後退。そこからの戦いはレース序盤ほどスムーズではなく、なかなか順位を挽回できないまま周回が重ねられていった。
それでも琢磨は着々とポジションアップ。ゴールまで30周を切ったところでトップ10圏内を走っていた。しかし、最終的に13位でのゴールとなった。
「今回のレースはインディー500なので13位という結果はとても悔しい」と琢磨は語り、「難しいレースになっていましたね。プラクティスでは一度も出なかったタイヤのブリスターとかもあって、グリップが足りていませんでした。ピット作業は速かったし、クルーは本当に頑張ってくれていたんですが……」。やや暑くなったコンディションに対してマシンのダウンフォースレベルがマッチしていなかった。リードチェンジ回数がレコードの倍を記録したことが示している通り、今年のレースは去年を遥かに上回る接戦となっており、出場者全員がより長い時間、タービュランスを受けて走らなければならなかった。マシンは常に不安定な状況に置かれ、タイヤにはより過酷な条件が与えられていたわけだ。
そうしたコンディションで最も安定したマシンを手にしていたのがアンドレッティ軍団とカナーンだった。ペンスキー勢はそれより僅かに劣っていた。そして最後はベテランの勘が冴えた。
以上
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