Photo:Naoki Shigenobu |
04年インディーカー・チャンピオンのトニー・カナーン=TKは、今年のインディー500前までに15勝を挙げてきていた。
彼の幼なじみのエリオ・カストロネヴェスと同じタイミングでアメリカへとやってきて、インディーライツでの彼らはチームメイトだった。CARTシリーズへのステップアップも同時。それが、アチラはインディー500で3勝、TKは勝利ナシと差がついていた。
エリオはインディーで最初からメチャ速かったし、何といっても所属チームがインディー最強のペンスキーだから。CART時代にペンスキー入りしていた彼はCARTで6勝、通算勝利数は27勝(CARTのもの含め)とTKに大きく水を開けている。ただ、エリオにはタイトル獲得経験がない。インディーライツでチャンピオンになったのもTKの方だった……1997年のことだ。
インディーでの速さなら、TKにも定評がある。しかし、伝統あるレースで肝心の優勝はナシ。11年連続で出場をしてきての成績は2位1回、3位2回、4位1回、5位2回……とかなりの高値安定ぶりだったが……。
2103年もTKが走るのはKVレーシング・テクノロジー。移籍して3シーズン目。過去2シーズンより1台減った2台体制と勢いは落ち気味。マシンのスポンサーも今年は大手企業じゃなく、アメリカで販売されているダイエット・サプリメントのブランド。そのカラーリングはユニークだけれど人目は引かない。チームメイトは新加入のシモーナ・デ・シルヴェストロ。シモーナは速いが、TKがKVRT入りする前にいたアンドレッティ・オートスポート(フル・シーズンは4カー、インディーは5カー)とでは大違いの体制だ。
レースは古巣アンドレッティとの戦いを、197周目、得意のリスタートで制す
Photo:INDYCAR(John Cote)クリックして拡大 |
そして決勝、TKが戦った相手はアンドレッティのドライバーたちだった。今年の彼らが強かったのは、5人のチームメイト同志でパック走行を繰り返し、レース用セッティングを仕上げたからだ。TKは自らがダリオ・フランキッティたちと創り上げたシステムを相手に戦っていた。
今年のレースは超の字がつくハイペースになった。しかも33台の大半が実力伯仲だった。20番手以降を走っていても、そこまでに大きな間隔がスポッとできることは稀で、トップから30台近くまでが大きなドラフトを作っていた。そんな中、ダウンフォースを削っていってもファイアストン・タイヤ装着のダラーラDW12は安定感が高く、アクシデントも少ないままレースはグイグイ進んでいった。
TKといえばリスタートのチャンピオン。佐藤琢磨もかなりのハイレベルにあるが、リスタートのうまさナンバーワンはTKだ。彼が見せるコールドタイヤでの大外廻り大量一斉パスは、誰にも真似のできないもの。TKの専売特許だ。今年の彼は12番手スタートだったが、1周で5位まで上がり、リスタート1回目の後の9周目にはトップに立っていた。
そこからの集団バトルは、もうTKにとってはお手のもの。マシンの仕上がりも最高だったようでトップ5から溢れることがほとんどないまま走り続けていた。
そして、勝負を決めたのはライアン・ハンター-レイを相手にした197周目のリスタート。ターン4からメインストレートに出た彼はRHRのスリップにスッポリ入っていた。そして、ターン1へとステアリングを切る前にパスを完成させ、トップに躍り出た。
それだけで十分だった。彼らが通り抜けたターン1でクラッシュ発生。TKがウィナーと決まった。勝利の美酒の匂いを嗅ぎながら手を届かせられずにきていたトニーは、ついにブリックヤードのビクトリー・レーンへとマシンを乗りつけることになった。
おめでとう!
(後編に続く)
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