2011年8月16日火曜日

2011 INDYCAR レースアナリシス R12 ニュー・ハンプシャー:一見、正しいように見える主催者の思考法、その根っこにインディーカーの問題はある?

Photo:Naoki Shigenobu
 最後のリスタートでの多重アクシデントの引き金を引いたのは、ダニカ・パトリック(アンドレッティ・オートスポーツ)だった。彼女はマシンにダメージを負いながらもレースを続けることができたので、赤旗の1周前の順位が最終結果に採用されていたら、5位となっていた。その一方で、パトリックのスピンの影響を受けてリタイヤとなったウィル・パワー(チーム・ペンスキー)や佐藤琢磨(KVレーシングテクノロジー・ロータス)は、事故前と事故後の順位を比べると、5位と7位にから、アクシデントの後には11位と12位にそれぞれ落ちていた。

 パトリックはアクシデントを巻き起こしておいてポジションをひとつゲインし、逆に犠牲者たちは大きく順位を落とす。このことをインディーカーは受け入れ難かったのだろう。彼らがそういう思考パターンを持っていることは、過去の数々の例からも明らかだ。しかし、その思考法は本当に正しいんだろうか? 不要なアクシデントを引き起こしたドライバーが、その場面で周回遅れに陥るなどの不利を被った場合、インディーカーではそれ以上のペナルティを課さない。「もう罰は十分に受けたから」と。情け深い、とても素晴らしい考え方のようにも思えるが、避けられるアクシデントを敢えて引き起こしたドライバーには、そのことに対するペナルティが必ず課せられるべきで、「スピンして大きく順位を落としたのだから、もう勘弁してあげよう」などといった情けをかけるのは間違っている。ピットのドライブスルーなどのペナルティがペナルティとしての役目を果たさないなら、ポイント剥奪や出場権の停止なども検討すべきだ。

 このように、インディーカーの思考方法には、間違っている思われる部分が少なくない。今回の事件は、インディーカーにジックリと検討させ直すチャンスを与えられたと考えられる。失敗からは必ず何かを学べる。そうすることで前進が果たされる。多方面から意見を聞き、自らの中でも議論を深め、インディーカーが保持すべき確固たる方針を決める必要があると思う。

 パトリックがアクシデントを起こしたのは、インディーカーのレースコントロール=競技長のブライアン・バーンハートが大きな判断ミスをしたからだった。彼女はひとつでも前の順位でフィニッシュしようと全力を投じただけ。彼女はプロフェッショナル・ドライバーとしてやるべきことをやっていただけだ。雨が降り、路面が濡れ、グリップがどんどん落ちていっているコンディション下、ペースカーランが続いてタイヤも冷え切った状況でリスタートを指示した。それは決定的に間違っていた。
 そしてレース直後、競技責任者であるバーンハートは、「完全に私の判断ミスだった」とアッサリ非を認めていた。しかし、その裏には彼のしたたかな計算があったと思われる。速やかに非を認めれば世間には潔い印象を与えることができるし、「私の間違いでした」と殊勝に反省している姿を少しでも見せれば、世間の態度が寛容に変わる。それがアメリカ人気質であり、バーンハートはそれを巧みに利用したのだと思う。

 残念なことに、彼の策略にアッサリと乗っかってしまう者がすぐさま現れた。今回のレースのプロモーターであるニュー・ハンプシャー・モーター・スピードウェイの責任者だ。「誰かひとりを非難するのは簡単だ。しかし、それはしないで欲しい。私はプロモーターとして、バーンハート氏のしてくれたことを素晴らしかったと考えている。今日サーキットに集まってくれたファンにレースをゴールまで見せるため、彼は最大限の努力をしてくれた」と彼は力説していた。濡れて滑り易い路面の上で、大パワーのオープンホイール・マシンの集団を再スタートさせれば、今回より大きなアクシデントが起こる可能性は十分考えられた。もし負傷者でも出ていたら、その責任を誰が取れたというのだろう。「もう残りはあと10周だけだったから」、「テレビの放送時間はもう伸ばせなかったし……」などというのは、危険な状態でレース再開させる理由には絶対にならない。大きなアクシデントが引き起こされていたら、「まったく酷い決断を下してくれたもんだ」と、このプロモーター氏はインディーカー、そしてバーンハートを恨むことになっていたと思う。

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