ライアン・ブリスコー Photo:Naoki Shigenobu |
マシンのダメージは大きく、チーム・ペンスキーは予選までに修復不可能と見て、ホンダにエンジンをリクエスト。すぐさま1基がチームのガレージへと運び入れられ、彼らはスペアカーにエンジンを載せる作業に取り掛かった。エンジンを降ろす作業は必要ないこともあって、1時間ちょっとで6号車のTカーがピットへと運び込まれた準備周到な彼らは、このマシンをオープニング・デイに一度走らせている。
しかし、ペンスキーほどのチームであっても、プライマリーカーはスペアカーにより仕上がりが明らかに良いということなのだろうか? あるいは、スピードアップはこうした事態でも慎重に行わなければならないという考え方からなのか、クラッシュしてブリスコーが萎縮したのか? 16周も走ったが、ベストは36番目にランクされる223.932マイルにしか届かなかった。
プラクティス最速はアレックス・タグリアーニ(サム・シュミット・モータースポーツ)=228.184マイル。2番手に94年ウィナーのバディ・ライス(パンサー・レーシング)が来た。3番手はウィル・パワー(チーム・ペンスキー)、4番手はスコット・ディクソン(チップ・ガナッシ・レーシング)、5番手はエリオ・カストロネベス(チーム・ペンスキー)。佐藤琢磨(KVレーシングテクノロジー・ロータス)は19番手だった。
シモーナ・デ・シルベストロ(HVMレーシング)がTカーでコースに復帰。32周を走り、ベストは223.357マイルがベストで39番手だった。ブリスコーが2台を走らせたので、このセッションの走行台数は41台となった。
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