2011年5月23日月曜日

2011 INDYCAR インサイド情報&ニュース R5 インディ500 Pole Day タグリアーニ、苦難の末のインディ500初ポール

Photo:Naoki Shigenobu
犠牲と、涙と、痛みを乗りこえての快挙

アレックス・タグリアーニ(サム・シュミット・モータースポーツ)がインディ500で初ポール獲得。記者会見で彼の口をついて出たのは、「説明するのは難しい……。僕のレーシング・キャリアにはたくさんの犠牲と、涙と、痛みがあったから……」というものだった。ちょっと感動的だった。


インタビュールームで、予選2位のディクソン、3位のセルビアから祝福される
タグリアーニ。いずれもCART時代から彼を知るドライバーたちだ。
Photo;Naoki Shigenobu
速いが勝てないドライバー
 今からたったの3年前、カナダのエドモントンでインディカーが初めてレースを行なった時、ポール・トレイシーは何とか出場に漕ぎ着けたものの、タグは走るチームを見つけることができなかった。彼が走ったのは、決勝前日の土曜日にサポートイベントとして行なわれたストックカーレースだった。見事に優勝したが、取材する記者は母国カナダだというのにほとんどおらず、彼は寂しく帰って行った。
“タグ”がCARTシリーズにプレヤーズ/フォーサイス・レーシングからデビューしたのは、2000年。目をギラギラさせた、いかにもアグレッシブなドライバーという印象だった。デビューしてすぐのリオ・デ・ジャネイロでポールポジションを獲得。強烈な速さで初優勝へと突っ走った。「またすごいドライバーが出てきたぞ」と思ったものだ。ところが、ゴールを目前にスピン!
勝てなかったとはいえ、生来のスピードの持ち主という印象は強くあった。ジャック・ビルヌーブ、グレッグ・ムーア(99年に事故死)に続くスターになるものとカナダのファンから期待が寄せられていた。カナダのタバコブランド=プレイヤーズのフル・カラーリングで走るというのは、そういうことだった。
ところが、タグにトップオープンホイールでの初優勝のチャンスはなかなか巡って来なかった。次第に「勝てないドライバー」というイメージが強くなって行き、チームメイトのパトリック・カーペンティアが3勝も挙げると、そのイメージはさらに強くなった。

昨年より、インディカーに本格参戦を果たしたが・・・・・・
タグの悲願の優勝が記録されたのは、CARTが全盛期を終えて規模縮小、チャンプカーとなった後の04年だった。時すでに遅し、の感があった。それが昨年、ファスト・レーシングというチームが発足させられ、タグは共同オーナー兼ドライバーとして、インディカー・シリーズに本格参戦を始めた。長期計画で勝てるチームを作るという素晴らしい体制を手に入れたのだ。タグにまた生き生きした表情が戻ってきた。
しかし、共同オーナーたちは驚くほど飽きっぽく、たった1年でチーム運営を断念。タグが幸運だったのは、そのチームをサム・シュミットが丸々買い上げてくれたことだ。それも、マネジメント・スタッフも、エンジニアもクルーも、ほぼ全員を雇い続ける形で。タグはドライバー専業に戻った。
「1年間をかけて僕らのチームは成長してきた。今年のインディ500に向け、冬の間にはマシンの空力面の小さな改良を重ねた。プラクティスが始まってからも、クルーたちはものすごい情熱をもってマシンを組み上げていた。すでに速さは証明済みのマシンだというのに、今年のプラクティスでもトップかそれに近いポジションにずっとつけているのに、彼らはマシンに何かしらの作業を施していた。こうした情熱や努力が100周年のインディ500でのポールポジションに繋がった」とも会見でのタグは話した。チーム・ペンスキーやアンドレッティ・オートスポートが苦戦する中で初のポールポジション獲得。彼らが次に目指すのは初めての優勝だ。大きなプレッシャーを跳ね除け、2回の予選の両方で最速タイムを記録したドライバーと、団結力と情熱とで彼を支えてきたチームであれば、来週末に目標を達成する可能性は十分にある。

かつてのインディ500ポールシッターたちと記念撮影。インディ500、100周年の
記念すべき年のポールシッターとしてタグリアーニの名が歴史に刻まれた。
Photo:Naoki Shigenobu


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